金の切れ目は円の切れ目
『金の切れ目が縁の切れ目』
日本はお金の単位が円なので
お金なし=円なし
円→縁って 音で繋げてて上手いなって
思ったんですけど、
別にそういうわけでもないみたいね。
本来の意味は、
金銭で成り立っている関係は
これ以上 利益が見込めないってことになったら
付き合いが終わるってことだそうです。
金銭で成り立っている関係じゃなくても、
人が行動する時、もっと正確に言うと、
人が人と会う時には金銭が要るので、
金の切れ目が縁の切れ目 だと思うわけなんですね。
世の中お金なんです。
もちろん、心がないと。とか愛とか。
うんとか、すんとか、言う人いますでしょうけど、
実際のところ、お金がないと そもそも
そんな余裕めいたこと言えないわけなのです。
お金という概念が無いとか、
インフレだったら、話は別かもですが。
人と出会う方法は、今なら 間接的にできます。
今やってる ブログだって、
音声配信だって、イラストや、写真とか
そういうSNS は 人と人とを繋げてくれます。
※まあ、ネット代が払えればの話ですが。
(やっぱり お金なきゃできない大前提…)
人と会うということは
出かける(交通費)
食べる(外食費)
手土産持ってく(接待費)
身なりを整える(美容費)(衣装費) などなど
お金がかかるんですよね。
ここで言う「縁」は人との交流に限定してるので
お金がない= 会いに行けない
=会っても何もできない みたいな。
ギブアンドテイクで、
テイクされるだけじゃ、人って
引け目感じて、一緒に入れなくなる
ギブできない、ギブできる状況じゃない
会えない、疎遠、
(実質)無料で交流できるネットでしか
生存確認できない、
人と会わないから、喋り方忘れる
社会不適合者みたいな
いまは、これを頑張りたいからって
おかねを犠牲にしても、
やっぱり ないと、会えないし、
捻出してでも無理しないとって、変なの。
お金持ちの人って、自信家な人多そうなイメージ
お金があると、なんでもできるって
自信がつくんですかね。
期間限定のバイトしかしてなくて、
時間もなくて、お金持ってないので、
できる限り 倹約して過ごしてるし、
金欠なんだ💦って、事実でもさ。
お金の話をするのって タブー感あるじゃん。
でも、実際、そういうわけなので
人付き合いというのは、現代においては
時間よりも お金があるかどうか、、、
というところが、あると思うんです。
金の切れ目は縁の切れ目。
一理あるよね。
けど、それで疎遠になるなら、
それまでの関係なのかなって。
お金ができるまでいくらでも待つよって
出してあげるよ!じゃなくて、
お金ができたら、時間ができたら、って
待ってくれる、尊重してくれる
友だちを大切にしたい
甘えた思考のおねむりん倫理なのでした。
おねむりん