ファッションとはなんぞか。
ファッションには様々なドラマがある。
と思う。
ファッションは、服だけでなく、着ている人、着られているもの、空間、どれをとっても楽しめるものだと思う。
好きな服を着ることがファッションなのだろうか。
誰かのために服をコーディネートすることがファッションなのか。
服そのものがファッションなのか。
好きな色、好きな柄、好きな形をえらぶ。
なりたい自分をえらぶ。
服や靴、アクセサリーを「身につける」とは、その一瞬の間に、自分の意思で選択をする行為だ。
そして、1日の終わりに洗濯もする。
冗談はさておき。
理想に近づける気がして、心を躍らせて衣を手に取るひともいるだろうし、目立ちたくない、カモフラージュしたいと思って、身にまとうひともいるだろう。
ファッションショーは、服が主役だ。
モデルは 服を生かすためのウォーキングやポージングをするはずだ。デザイナーが着るひとのことを考えて作ったかどうかは置いといて、ここではモデルは立てる役割を担っているのだ。
わたしは、服が主役でも、自分が主役でもどちらでもいいと思っている。
ゆとり世代だと言われてしまいそうだが、服とわたしのトータルで評価して欲しい。
服に着られてしまっているよ。
あなたには似合わないよ。
もし、そう言われてしまったなら、気にする必要はない。服に似合うような自分に努力したらいいと思うからだ。どうしても、その服と共に一瞬を過ごしたいと言うのならば、見合うようにわたし自身が変わればいい。それがどうしても叶わないならば、自分に似合うものは何なのかを分析して、再び選択をしたらいいのではないか。
普通のことを、まるで新しい発見をしたかのように文字で表現しているわけだが、わたしは身だしなみこそ自身の写しであると思うわけだ。
歳を重ねて、様々な経験をしていくと、
価値観や考え方が変わってくるように思える。
人の意見を聞いて、自分で要るもの、要らないものを判断できるようになる。
踏み出せない環境に言い訳をして、選択を後悔してしまうのはもったいないと思うわけだ。
身だしなみは、自分のためでもあり、相手のためでもある。他者からの評価に怯えて、選択を踏みとどまってはいけないと思う。
その選択が自分のためなのか、誰かの好みに合わせた工夫なのかは 正直どうだっていい。
服に見合うわたしに、わたしに見合う形に、
一人だけで完結するのではなく、二つ以上ものと共に先頭を歩かせてもらいたいなと思った。
おねむりん。