音が聞こえなくなったら

ファイトソング というドラマが、

来週最終回なんですけど、

とっても、一言では言い表せない

気に入っているドラマなのです。

 

おすすめ!とか、是非見てほしい!とかは

思ってないので、おすすめはしません。

単に、好きというか、気持ちがゆれた物語です。

 

ドラマの中で、主人公の女の子は

事故の後遺症で 耳が聞こえなくなる可能性が出てきます。手術が成功しても、聞こえなくなるかもしれない。手術日までに耳を通じたコミュニケーションや、「音」が聞こえている生活の思い出を残そうと ある取り組みをします。それが切ないんですけどね。あっ、言いませんよ。

 

それで、私の生活に目を向けて見て、

音が聞こえなくなったら… って今考えてました。

 

音が聞こえなくなったら、

1番に思い浮かんだのは

音楽が楽しめなくなってしまう…。

お耳のコミュニケーションですからね。

耳が聞こえなくても、皮膚を通じて

振動で リズムを楽しめるものがあればいいのに

あるのかな?あったら、うれしいよね。

 

2番目に思い浮かんだのは

危険に気づけない。

イヤフォンで耳を塞いでいると、

何かに気づくのが遅れるように、

耳からの情報で 危険を感じ取っているので、

実験なんてできないし、

聞こえなくなった途端、今まで積んできた学歴がパーになるようなものです。実験屋さんはできない。

料理だって、お湯を沸かすのはケトルじゃなきゃ怖いだろうよね。

ガサガサって、何かが潜んでても気づかない。

距離感だって分からないだろうな。

 

私は、不調な時、そうじゃなくても

音に敏感で、話し声とか気に食わない音が

近くで鳴っていたり、

その状況に身を置かないといけない時、

平然を保った顔しながら

内心イライラが止まらなくて、

ぜんぜん、集中できないみたいなことがあるんです。

 

そんなときは、イヤフォンできる状況なら

音で音をカモフラージュして、

ないことにしてて、

この音無くなれ、無くなれって、

思ってるんですけど、

いざ、無くなることを想像すると、

損が大きいです。

 

音のせいで、というか、

音に敏感、神経質なせいで

音が嫌いになることもあるけど、

音のおかげで生かされてた上での悩み。

 

音がなきゃ絶対にダメってことじゃないです。

この世の中に絶対なんて存在しないですから。

 

だけど、少なくとも私は

音に依存しているから、

急に無くなってしまったら 絶望は深いだろうな

ということです。

 

無くなってしまったら、

 

それは 有るからこその発想。

実際に、その状況になってみないと

本当のところは わからない。けれど、

無いからこそ、新しいものが生まれる

新しい有るが できるかもって思えば、

この世界を「無い」が

覆い尽くすことは 無いのでしょうね。と

 

有るとか、無いとか、

優勝とか、最下位とか、

輪廻転生、万物流転ってことですね。

 

なんか、もやもやする 終わり方っ。

 

 

おねむりん