音で記憶する

走馬灯のように思い出が駆けめぐるのは、死に際だけなのかなと思うけど、実はたくさんの思い出たちは五感で簡単に思い出すことができる。

 

におい。

このにおい、懐かしい。一度嗅いだことがある!

そのときはたしか…

 

味。

この味と似たものを知ってる。

 

感触。

この触り心地、知ってる。

 

視覚。

見たことがある。

この場所、あの顔、その道知ってる。

 

そして、音。

この音がした後は嫌なことがあった。

忘れていたことが思い出される。

 

我々は、数字やことばを使って表現することができるが、本能的な危機意識は 五感によって守られている気がする。

 

特に、ここでは 音に注目したい。

音楽好きな人は、音楽を聴きながら生活をすることがあるだろう。その時のことを、そのときに聞いていた音楽によって、記憶していることがある。

 

わたしの家庭は、小さい頃 2年おきに 大晦日の夜に出発して2泊3日でスキー旅行に出かけていた。

そのときにいつも、父が車で「ロマンスの神様」を流すのだ。広瀬香美のことは、全く知らなかったが、この歌といえば、雪!スキー!、スキー!雪!といえば ロマンスの神様

ロマンスの神様を聴くと、今でも 車内からみた雪山の景色が思い出される。

 

中学生のときに、関東に住むわたしの家族は 愛媛に住んでいる祖父母を連れて、愛媛のとんがりの先、八幡浜佐田岬までドライブに行った。入り組んだ複雑な海岸線、リアス海岸を目の前に、2世代の家族が一緒にいる、景色も良いし、こうやって ずっと一緒にいられるわけじゃない。もう2度とこの瞬間は訪れない、そう思うとこの景色を絶対に忘れてはいけないという使命感がわたしの中に宿った。そこで、当時の私は 音楽で記憶しようと思って、「海岸線をレースのように、真っ赤なオープンカーが走る…」で始まる、SKE48アイシテラブルの音源を耳に当てて、団らんそっちのけで 景色を目に焼きつけた。

不真面目な家族交流のように感じるかもしれないが、わたしはこれをしておいて良かったと今でも後悔していない。

その後 高校3年生の時に、また遊びに行ったのだが、翌年 祖父は亡くなった。

記憶に焼きつけたシーンは 死ぬ前の前の前の結構前の記憶だが、それでも 辛うじて元気なうちに一緒に出かけた思い出が、その音楽を火種にして次々と思い出しやすくなっている。

ぜんぜん感動的な音楽ではないが。

無意識に思い出されてしまう。

 

さまざまな思い出がよみがえる。

蘇る、甦る、暦が帰るように!

 

徹夜したときに聴いていた音楽

徹夜明けのバスで聴いていた音楽

徹夜していないときに聴いていた音楽

 

ただ、この「音で記憶する」ことには弊害がある。

思い出は全てがいいものとは限らない。

 

わたしは律儀なところがあり、頑固は頑固なのだが、相手の趣味に歩み寄ろうと 相手の好きな音楽を聴いてみて 見事ハマる時がある。そうしたときに、さまざまな思いを抱きながら 、その音楽を聴いていたもんなので、終わったことなのに思い出してしまって、もやもやしてしまうのだ。

この曲好きだったな。好きだったと言うよりも、意識して聴いていたのかもな。たまに聴きたくなる声だけど、これを聴くと思い出しちゃうからな。

好きなはずなのに、この音楽自体が嫌いになりそうで、というか嫌いになってしまって、音楽に罪はないのに、その音楽を聴くと自分自身が苦しくなってしまう。まあ、それくらいには感情がのってしまっていたんだろうなと。

この景色忘れたくない!と思って、ライブハウスでシーンを目に焼き付けつつ、想いを全力で歌に乗せてしまったせいで、思い出を美化してしまったところは否めない。音源を聴いて、客観視すると大したことないのになぁと思うけど、その時は確かに 気持ちと共にわたしがそこに存在した。

 

音で記憶すると、純粋に音楽自体を楽しめなくなってしまう弊害が隣り合わせなのである。

無意識なのが厄介なのだが、この先も音に想いを乗せてしまって、イヤフォンが苦痛になってしまったら嫌だなぁと思う帰り道。

 

BLUE ENCOUNTの「さよなら」初めて聴いてるけど、これも思い出になりそうです。

 

ブルエンのベストアルバム最高だわ。

おねむりん。