好きの裏返し

いやよいやよも好きのうち。

会話のノリで きらいー!とか、こいつと一緒とかいやなんだけど!とか、そういう時に 高みの見物でもしてるみたいに、こういうこと言う人いますよね。

 

は?嫌いは嫌いだし、なんなの?って

当事者は思うのだろうなぁと想像できるけど、

そもそも好きの定義ってなんだろ?と。

その定義づけと、好きの対義語は何かを考えてみたいと思う。

 

結論から言うと、

好き=興味がある

好きの反対は、嫌いではなく 無関心

と、私は考えた。

 

好きだと思うということは、相手のことを認識していて、好きだと思える相手の性格、言動、外見などを理解しているということだと思う。

それを知っている、気がつくことができるのは、好き、すなわち 興味を抱いているからこそだと思う。

興味がなくても会話をすることはできるが、興味がなければまったく記憶にも残らないし、そもそも言葉が出てこない。反例は認める。

したがって、好き=興味があること。

 

好きか嫌いか、気にいるか 気に食わないか。

興味があるかないかを軸にすると、興味がないと言うことは無関心ということになる。

 

あの人のことどう思う?

→普通かな。

これだ。この「普通」というのは好きでも嫌いでもない、そもそも相手の情報を知らない、判断材料がない、そんなことに時間をかけるのがもったいない、それほどの人間じゃない、ちょっと言い過ぎたかもしれないけれど、好きかそうでないかを判断するためには情報を知っていて判断出来るほど気がないとできないのではないかと考える。

 

もちろん、よくわからないけれど、ある人・モノに惹かれることもあると思う。そうしたときに、好きかどうかはまだ判断できないけれど「気になる」と口にする人が多いのではないだろうか。惹かれているときに、「普通」とは、相当意地っ張りじゃないかぎり言わないと思う。

 

つまり、そういうこと。

好きの定義は、

相手を判断できるだけの情報があり、理解している、認識している状態。

嫌いもまた然り。

 

好きの反対はそもそも情報がない、得ようともしない。興味がない状態。

 

好き嫌いの対義語は、思いついた人天才だと思うなあ。

だって、わたしは興味あるない基準からしか考えられなかったのに、その先を行って定義してるんだよ。ほーん。

わたしにとって対義語の基準は 、有る⇔無い なんだよなあ。

もともと質量がなく、存在しないものに翻弄されるのって実に滑稽だけど、だからこそ素晴らしい文化だなあなんて思います。

 

ほいじゃ、こんなもんで!

 

 

おねむりん